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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)949号 判決 1975年12月11日

主文

被告人を判示第一の罪につき懲役一年に、同第二および第三の各罪につき懲役三年にそれぞれ処する。

この裁判確定の日から各三年間、右各刑の執行をそれぞれ猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、別紙犯罪事実一覧表番号1ないし6記載のとおり、昭和三二年四月一七日頃から同年七月二四日頃までの間前後六回に亘り、単独または坂部忠夫と共謀のうえ、大阪市南区安堂寺橋通二丁目九番地大阪労組生活協同組合ほか三ヶ所において小田孝ほか四名管理または所有にかかる洋服、洋服地等被害物件欄掲記の物件を窃取し、

第二、別紙犯罪事実一覧表番号7ないし19記載のとおり、同年九月二二日頃から同年一二月一三日頃までの間前後一三回に亘り、坂部忠夫、浜谷豊明、谷口明らと共謀のうえ、同市東区淡路町四丁目六二番地竹馬既製服株式会社営業所内ほか一一ヶ所において加藤泰ほか一一名管理または所有にかかる洋服、和洋服地等被害物件欄掲記の物件を窃取し、

第三、坂部忠夫と共謀のうえ、同年一二月二〇日午前一時二〇分頃、同市東区谷町三丁目一四番地滝本株式会社(代表者滝本逸次)社屋に窃盗の目的で侵入しようとして同会社裁断場の窓枠を鋸で切断中同社社員山林誠ほか三名に発見されてその目的を遂げなかった

ものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(確定裁判)

被告人は、昭和三二年九月七日京都簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年、三年間執行猶予の判決を受け、右判決は同月二二日確定したものであって、右の事実は検察事務官作成の昭和五〇年一二月八日付電話聴取書によってこれを認める。

(法令の適用)

法律に照すと、判示各所為中判示第一、同第二の各窃盗の点は各刑法第二三五条(別紙犯罪事実一覧表番号4ないし19の各事実については、さらに第六〇条)に、同第三の住居侵入未遂の点は同法第一三二条、第一三〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号(刑法第六条、第一〇条により、軽い犯行時の昭和四七年法律第六一号による改正前の規定を適用する。)にそれぞれ該当するところ、判示第三の罪については所定刑中懲役刑を選択し、判示第一の各事実は判示確定裁判にかかる罪と刑法第四五条後段の併合罪であるから同法第五〇条により未だ裁判を経ない判示第一の各罪につきさらに処断すべく、同法第四五条前段、第四七条本文、第一〇条により犯情最も重いと認める別紙犯罪事実一覧表番号4の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役一年に処し、判示第二および第三の各事実は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により刑および犯情最も重いと認める同表番号10の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役三年に処し、後記情状に鑑み、刑法第二五条第一項第一号を適用してこの裁判確定の日から各三年間、右各刑の執行をいずれも猶予することとし、主文のとおり判決する。

(量刑の事情)

一件記録によれば、被告人は、昭和三二年一二月二八日身柄勾留のまま判示第三の事実につき大阪簡易裁判所に公訴を提起(のちに当庁の事件と併合)され、翌三三年四月四日判示第一、第二の各事実につき当庁に追起訴され、各事実につき本件の共犯者三名を含む多数の分離前の相被告人らとともに共同審理を受けていたものであるところ、同月三日付保釈許可決定により同月一七日釈放されたが、同年六月四日の第四回公判期日以降裁判所に出頭せず、同年八月一三日保釈取消、保釈保証金全部(五万円)没取の裁判を受け、その後沓として所在不明のまま一七年を経過し、昭和五〇年九月一一日にようやく所在発見、収監されるに至ったものであることが認められる。ところで、本件各犯行は、検察官指摘の如く、集団により計画的、組織的に敢行されたものであって犯行回数も多く、被害金額も巨額に上り、被害物件も殆ど回復されず、被害弁償も行なわれていない等犯情まことに悪質と言うほかなく、共犯者三名については昭和三三年九月一五日坂部忠夫に対し懲役四年(未決勾留日数中二〇〇日算入)、浜谷豊明に対し懲役三年(未決勾留日数中二〇〇日算入)、谷口明に対し懲役一年(未決勾留日数中九〇日算入)の実刑判決が宣告され、いずれもその頃服役を終っていることとの権衡から考えても、逃亡中であった被告人に対してのみ不当な利益に浴せしめることは正義の観念に反するものと言わざるを得ないが、他方、被告人は、前示保釈釈放後の昭和三三年五、六月頃仕事先で松井緑と知り合い、裁判中の身であることを秘して内縁関係を結ぶうち同女が妊娠したことを知り、実刑判決を恐れて東京方面に逃亡したものであるところ、爾来松井性を名乗って履歴書の要らない歩合制のセールスマンとして細々と生活を続けて来たものの、この間昭和三五年一月三〇日に長女洋子、同三七年二月二七日に長男徹が出生したのに入籍手続も取れないまま長女は高校一年、長男は中学一年を迎えるに至り、情を知らない妻子に対し説明することもできぬまま、一日として安閑とすることなく悶々の日を送り、今回の収監により初めて心安まり解放感に浸っていると述懐しているのであって、共犯者らが実刑に服することによって受けたと同様あるいはそれ以上の精神的苦痛を受けて来たものであること、被告人は戦傷者であり、昭和三一年まで一〇年余勤めた日通を退職し、薪炭卸業を自営したが倒産して大阪に出るまでの間および保釈中逃亡して収監されるまでの間は殆ど法に触れるような行動に出て居らず、被告人の犯行は、在阪中の昭和三二年に集中しており、倒産による精神的動揺および共犯者との接触によって誘発されたものであって被告人自身の犯罪性はさほど根深いものではなく、一七年に及び逃亡生活中にほぼ払拭されるに至ったものと認められること、窃盗罪についての公訴時効期間は犯行後七年であり(刑事訴訟法第二五〇条第三号)、刑の時効は刑の言渡確定後一〇年(懲役三年以上一〇年未満の場合)であって(刑法第三二条第三号)、仮りに被告人が本件による公訴提起前に逃亡するか、あるいは共犯者と同じ時期に判決を受けその執行前に逃亡したものとすれば、いずれかの時効が完成し、訴追または刑の執行を受けることがないのに比べ、たまたま被告人が公判係属中に逃亡したため永久に時効が完成することなく刑の宣告を待つ身となったのは、法制上当然のこととは言え、量刑に際しては彼我の権衡を斟酌して然るべきものと考えられること、被告人の妻子にとっては、被告人の犯行は被告人と知り合う前または本人の出生前の出来事であり、今回の収監はまさに青天の霹靂とも言うべきであって(長男に対しては未だ事情が知らされていない。)、今ここで被告人を長期間拘禁施設に送ることは、被告人の収入によって生計を維持している家族を家族成立前の過去の事実によって処罰するに等しい結果を招くこと、幸い被告人の取引先の代表者である藤井秀三郎が家族の窮状に援助の手をさしのべ、被告人の出所後も相談相手として助力を惜しまない旨を約していること、被告人は逃亡前および収監後を合計して二〇〇日をこえる未決勾留に服していること、その他諸般の事情を綜合すれば、「法の長い腕」は一七年の歳月をこえて遂に被告人を連れ戻し、当公判廷に立たせるに至ったが、今ここで満五三歳に達した被告人に科するに実刑を以て臨むことは必ずしも刑政の本旨に合するものとは考えられず、しばらくその執行を猶予して被告人に自力更生の道を歩ませることが相当と言うべきである。

(裁判官 半谷恭一)

<以下省略>

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